Mie Hayamizu photography

写真 と 造形研究ノート 
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アイヌ工芸×BEAMS

阿寒湖温泉街のアイヌ民族の若手工芸家6人と、
アパレルメーカー&セレクトショップBEAMS(ビームス)が
連携して開発した服飾品や雑貨を
10月に、東京・新宿の店舗で発売する という
北海道新聞電子版(2019.05.30)の記事が気になる。

「チタラペ(ござ)」をアレンジしたバッグ素敵だな。
ファッションから他文化を知ったり取り入れるのもいいよね。
「チタラペ」は白老のアイヌ民族博物館で見ました。

いま、メルカドバッグっていう
メキシコの編み込みバッグが受けているそうだし、
編み込みバッグ、あっという間に売り切れてしまいそう。

東京、かー。

2019.05.26 Note 本田明二「朝翔 ・ 夕翔」

 今回は市内の中央橋にあります本田明二さんの野外彫刻作品についてお話させて下さい。

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「朝翔 ・ 夕翔」 と名付けられた二対の白鳥の像です。

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作者の本田明二(1919~1989年)は、北海道月形町生まれの彫刻家です。
網走のほか、札幌と美幌で作品を拝見した個人的な印象としましては、
無駄をそぎ落とした素朴でありながら力強い作品だと感じました。

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こちら(上の写真)は現地の説明書き(碑文)によりますと、
1980年9月に網走漁業協同組合が寄贈された本田明二の作品「夕翔」。
「夕翔」は白鳥が沈む夕日を抱えるように羽を休める様が表現されております。
季節や天候によりますが、実際に白鳥が見つめる先には太陽が落ち、
夕焼けで空が赤く染まります。

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そして、こちらが、島田光さんが寄贈された像「朝翔」。
どのような方か詳しくお知りになりたい方は、
網走図書館2階の地方コーナーに島田光さんについて書かれた本や
建設業協会の名簿等がありますのでご覧になっていただければと思います。
「朝翔」は海からのぼる朝日を浴びて、いままさに羽ばたく瞬間を感じさせます。
白鳥が見つめる先にはオホーツク海が広がっています。

設置場所の環境を考えて作られていることから、自然との調和があり、
野外彫刻ならではの面白さを感じることができる素敵な作品だと思います。

2016年2月3日の朝日新聞デジタルにて、
網走市立美術館の古道谷朝生館長がコラムを書かれているのを見つけました。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20160203011150001.html
是非、ご覧になってください。

【訪れた場所】
網走市 中央橋

【参考サイト】
本田明二ギャラリー 公式サイト
札幌芸術の森美術館監修 札幌散策 本田明二ギャラリー

♯網走 ♯野外彫刻 ♯本田明二 ♯網走市立美術館

2019.06.03 Note 河田卓先生

子どもの頃、彫刻家の先生に
絵画を少しの間ですが教えていただきました。
2年くらいだったでしょうか?ドレメ教室と同じ場所でした。
しかし、あまりにも子どもで「先生、先生」と呼んでいたので
苗字を覚えていないのです。

昔は、とても絵を描くのが好きな子どもだったんです。
わたしの名前は漢字で「美絵」というのですが、
絵のように美しい子になるようにと名付けられたのに
美しい絵を描く子になっちゃったーと言われたものでした。
漢字表記だとハヤミ ヨシエさんと読まれがちなので
普段はカタカナで表記しています。

ですが、泉が枯れるように急に絵が描けなくなってしまったんです。
中学の美術の先生と合わなくて美術がつまらなくなった頃からかな。
成績は良かったのですが、何かが圧倒的につまらなくなっていきました。
大人になった今でも、もっと子どもの能力を伸ばす
別のやり方があったんじゃないかなあと思っている。

それはさておき、

子どもの頃に「網走市立美術館の前庭に先生の彫刻作品があるんだよ」
と聞いたことがあるので、私が子どもの頃に通った絵画教室の先生は
おそらく河田卓さんなんじゃないかな?と思ってはいるのですが、
いまだにわからずにいます。
いつか真相が明らかになると嬉しいです。
わたしにとって、あの絵画教室はとても楽しい時間でした。
ありがとうございましたと伝えたいです。

河田卓さんは網走出身の彫刻家で
網走の年表には、日展に連続7回入選したことから1985年に
彫刻作品が東京上野都立美術館に展示されたという記述があります。
日展とは、日本の最高峰の展覧会といわれる権威のある美術展です。

網走市立美術館のほかに、網走市役所や
大空町東藻琴図書館前などにも作品があります。
私は知らなかったのですが技専にも建っていたようです。
技専なくなりましたが作品は移設されたのでしょうか?
優しい風が吹いてくるような作品たちです。
近いうちに撮影して記事にしたいと思います。

2015年に網走市立美術館で開催された『河田卓 彫刻展』に行きたかったな。
わたくし当時オペを受けた時期だった模様です。残念。

【追記】2019.06.03

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写真は平成6(1994)年11月に東藻琴生涯学習センター建設記念として
前庭に寄贈された河田さんの作品「緑」と「風」。

♯網走 ♯河田卓 ♯彫刻家 ♯網走市立美術館

探検してきました

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先日、こども探検家のお薦め場所を探検してきました。

オタマジャクシの池を見て、お寺の仁王像を見て、
橋の上から線路を眺め、坂の上から景色を楽しみ、
神社でお手てを入念に清めまくり、大きな桜を見て、
神様にご挨拶して、丘に登って帰ってきました。
隊長!おばさん隊員は足腰にくるであります(ビシッ)

隊長には内緒でありますが、
自分が子供の頃遊んだところでしたので、
おばさん隊員は、なつかしく面白かったであります。

写真は網走神社境内の桜です。
良い場所を知っているのね。

2019.05.15 Note アオシマナイ遺跡

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 網走から海岸線を通り小清水へ向かう途中にある遺跡で、
脇道にはいりそのまま進んでいくと畑の中にポツリとあらわれます。

小清水町教育委員会が設置して下さった
現地の説明看板(碑文)を一部引用させていただきますと
“昭和42(1967)年に発掘されたこの遺跡は
「アイ(矢)がオシマ(入った)イ(所)」というアイヌ語が語源とされている。
昭和46(1971)年の調査で、濠(ほり)が2連に連なる
典型的なチャシ(砦・とりで)であると確認された。
また、チャシ跡とその周囲に広範囲に貝塚が分布している
大規模な遺跡であることが判明した。
平成12(2000)年の発掘調査において
二層の火山灰(駒ケ岳C2=1694年噴火・樽前a=1739年噴火)に
挟まれた状態で貝塚が確認されたことから、近世アイヌのものであることが判明した。
一方では、下層からは沼尻式土器や
東釧路式土器、東釧路式・中茶路式土器を主体とした縄文時代早期の遺物とともに、
長軸9メートルを超す大型住居を含めた竪穴式住居遺構や小竪穴などが出土している。”
とのことです。

クマ送りならぬエゾシカ送りの場であったのではないか?とも推測されているようです。

小清水町アーカイブスより、
『新小清水町史』第一〇編 文化 pp637-638を読んでいただければ
こちらの遺跡についてより詳しく正確に書かれています。
広報などの資料を昭和24年まで遡って読むことが出来るアーカイブスは秀逸です。

土器の説明につきましては、「帯広百年記念館収蔵 縄文土器ギャラリー」
http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/joumondoki-gallery.html
が、わかりやすいと思います。

写真に、木立の中を横切る小道のようなものが写っていますが
こちらが説明のなかにある濠(ほり)の跡となります。
チャシの周りは濠や柵で囲んで守ったと記憶しておりますが、
文献が手元にないので明確にするために論文を探してみましたところ、
豊原熙司さんの「北海道東部のチャシ」という講演内容がわかりやすかったです。
https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem1811.pdf
“チャシは、もともとは「柵」とか「柵囲い」を意味するアイヌ語”とのことでした。
柵から毒矢を吹いて砦を守っていたのですね。
大変勉強になりました。

【参考サイト】
公益財団法人 アイヌ民族文化財団公式サイト 豊原熙司 「北海道東部のチャシ」
百年記念館埋蔵文化財センター 帯広百年記念館収蔵 縄文土器ギャラリー
小清水町アーカイブス ワード:アオシマナイ

♯小清水 ♯アイヌ ♯アオシマナイ

2019.05.15 Note フレトイ貝塚

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小清水のフレトイ貝塚へ。

貝塚の説明ですが、米村哲英先生の
「フレトイ貝塚 北海道オホーツク海沿岸におけるアイヌ貝塚の発掘調査報告書」
※奈良文化財研究所のサイトより総覧は確認済
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/37108
に、まだ出会えてないので、小清水町教育委員会が設置して下さった
現地の説明書き(碑文)の引用となります。

“「丘がそこで決潰している所」というアイヌ語に由来する本遺跡は、
現展望台付近を中心に分布し、縄文時代中期から
近代アイヌ期(貝塚形成期)にかけて営まれた複合遺跡である。
1989年に実施された発掘調査では、
貝塚を形成するヤマトシジミを主体とした貝類、
大形のウグイ・カレイ等の魚類骨、
オットセイやエゾシカ等の哺乳類の骨などが出土した。
また、銛先等の漁撈具(ぎょろうぐ)を中心とした骨角器や、
和人との交易より入手したと思われる陶磁器や鉄製品が出土している。”

モヨロ貝塚は牡蠣が多く重なった貝塚ですが、
こちらはヤマトシジミが主体だったんですね。

以前は展望台のホール内に出土品を展示していたのですが
現在は立ち入り出来ないようになっておりますので、
現地で貝塚についての詳しい情報を得るのは難しい状況です。

調べている中で、小清水町アーカイブスでデジタル化された
『新小清水町史』が読めることがわかりました。
『新小清水町史』 第一〇編 文化 P638に、
こちらの遺跡についての文章が書かれています。
ご覧になってみては如何でしょうか?

【参考サイト】
奈良文化財研究所 全国遺跡報告総覧

♯フレトイ ♯貝塚 ♯小清水町

史跡モヨロ貝塚ガラス乾板写真デジタルアーカイブ

“ガラス乾板写真”というワードだけでときめけるのですが。

東京大学大学院人文社会系研究科附属北海文化研究常呂実習施設の
2018年デジタル化事業によりデジタル化公開されたものだそうです。
なんと貴重な。

卒論を書くときに閲覧できたらば、もっと嬉しかったのですけれども
生きてるうちに見ることができたから良かった~
って、思うことにしました。

「史跡モヨロ貝塚ガラス乾板写真デジタルアーカイブ」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/moyoro/

2019.05.12 本郷新「オホーツクの塔」

 網走市内は、佐藤忠良、本郷新、本田明二といった
名だたる彫刻作家の野外彫刻作品を見て歩くことが出来ます。

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能取岬に設立されておりますのは本郷新の作品「オホーツクの塔」。

本郷新(1905-1980年)は、札幌生まれの彫刻家です。
1960年代以降、公共空間を芸術で彩ろうという気運の高まりから
本郷の彫刻は日本各地に次々と設置されていきました。

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漁に長年携わってきたであろう、がっしりとした体に力強い大きな手。
腕まくりのしぐさは漁に向きあう気合いの心を感じさせ、
その袖先からのぞく筋張った腕と浮き出た血管は男性特有の雄々しさがあり、
まっすぐに海を見つめるその姿は漁師の気高さを漂わせています。

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力強く、気高く、美しき魂。

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現地の説明書き(碑文)によりますと、
オホーツクの塔建設委員会(網走の名士がずらり)が
開拓先人の業績を讃えると共に、その霊を慰め、水産日本の発展を希求するために
昭和53(1978)年8月13日に設立した像だそうです。

詳細につきましては、本郷新記念札幌彫刻美術館のサイトで、
札幌彫刻美術館の学芸員・井上みどりさんが
「オホーツクの塔」について、大変わかりやすく説明されております。
http://www.hongoshin-smos.jp/sculpture/okhotsk.html
勉強になりました。

コンクリートも作品の一部ですので早く修復されますことを願います。

【訪れた施設】
網走市能取岬
網走市立美術館 前庭(2015年)
真駒内 野外彫刻群(2015年)
札幌芸術の森 佐藤忠良記念子どもアトリエ(2015年)

【参考サイト】
本郷新記念札幌彫刻美術館
宮城県美術館 佐藤忠良記念館
本田明二ギャラリー

♯本郷新 ♯能取岬 ♯野外彫刻 ♯網走は魚介が本当に美味しい

2019.05.12 Note ステンドグラス

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郷土博物館2階の窓から見る桜は、とても綺麗です。

この景色が好きで友の会に入ったようなものなのですが、
卒論のテーマに古代の造形美を選んだために
思いがけず、米村館長をはじめ博物館の皆さまに
大変 たいへん お世話になりました。大感謝です。

ステンドグラス素敵ですよね。

こちらのステンドグラスは二代目だそうです。
初代のステンドグラスは館内にて丁寧に展示されています。
現在のデザインとはイメージが異なっており
とても興味深かったものですから、
是非とも見比べて頂きたいと思います。

【訪れた施設】
網走市立郷土博物館

♯網走 ♯田上義也

2019.05.10 Note 斜里朱円周堤墓群

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斜里朱円周堤墓群を見てきました。
斜里のストーンサークルと呼ばれている場所です。

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これらは縄文時代のお墓の跡です。
古代の人々が生命を大切なものとして扱っていた事がわかる場所。
昭和32年(1957年)に北海道指定の史跡となっています。

縄文時代についての知識が浅いもので
詳細は敷地内の説明書き(碑文)から引用させていただきますと、
“斜里朱円周堤墓群は縄文文化後期の遺跡です。
直径(外周)約31メートルのものと同じく
38メートルの円形のものが隣り合せて存在し、
その周堤の中にいくつかの積石墳墓があります。
積石墳墓は昭和23、4年(1949-1950年)に河野広道らによって調査が行われ
ベニガラを敷きつめた墓抗底から土器、土版、土製耳飾、石棒、石斧、
ヒスイなどの玉類、漆器残片、炭化した織物などの貴重な遺物が
人骨とともに発見されました。
平成23年(2011年)に行われた調査では二基の周堤墓に
構造法の違いがあることが判明しました。
土器は鉢形、徳利形、盃形など変化に富んだものが多く
栗沢式土器と命名されています。
これらは東北地方のストーンサークルから出土する土器と非常によく似ており
遠い東北地方の文化の流れをくむものであることがわかります”とのことです。

ベニガラとは赤色顔料ベンガラのことです。
詳しくはないですが、確かに縄文時代に赤い着色が施された
土器等が見つかっていると記憶しております。
函館市南茅部地域で発掘された国宝「中空土偶」には
赤い漆が施されていますものね。

わたくしが訪れました他の道内のストーンサークルと呼ばれるところは、
忍路環状列石(http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/160418)と
鷲ノ木遺跡は確実なのですが、他にも行ってるんですね。
キウスだったでしょうか・・・。
大船遺跡にも立ち寄ったように思うのですが
20年以上も前のことで忘れてしまっているので、また見学してみたいです。

【訪れた場所】
斜里朱円周堤墓群
斜里町立知床博物館 ※朱円周堤墓群出土品の保管展示場所
北海道開拓記念館 (現北海道博物館)
※2012年 北海道開拓記念館40周年記念事業 北の土偶-縄文の祈りと心

【参考文献】
児玉大成「亀ヶ岡文化を中心としたベンガラ生産の復元」2005 年 12 巻 20 号 p. 25-45
高田潤 「ベンガラの歴史と材料科学的研究」 風土社「チルチンびと」(2003年冬季号:No.23,84-85ページ)掲載
猪風来「「国宝土偶」(中空土偶)の漆塗装と縄文の赤漆に関する実験考古学的研究」
坂口隆「周堤墓形成期の土器研究・
北海道中央部を中心とする縄文時代後期中葉後半期-晩期初頭の編年再構築とその意義」考古学雑誌, 100(2): 28-74

【参考サイト】
文化庁 文化遺産オンライン
斜里町立知床博物館公式サイト 斜里朱円周堤墓群
函館市縄文文化交流センター公式サイト
青森県企画政策部 世界文化遺産登録推進室 JOMON FAN 第16回 「縄文の赤」
コトバンク 忍路環状列石
コトバンク 周堤墓
コトバンク 環状土籬
コトバンク 河野広道

♯周堤墓 ♯ストーンサークル ♯斜里

来運

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平日ですが、午後から時間が空いたので
斜里と清里に行ってきました。

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湧き水で有名な来運公園に寄ってみましたが
1番の目的はこの素朴な鳥居でした。
なんとも趣がある。

生水を飲むのは心配なので手だけ洗ってきました。
来運の甘いお水は飲んだことがありますが
どうしても沸かしたいのです。

アイヌの人々が大切にしていた場所らしいのですが
斜里町の図書館に寄れなかったため
参考としうる文献を読む事ができなかったので
ノート化するのは後日改めてにします。
アイヌ語地名に纏わる本なら網走にもありそうです。

斜里では実家と叔母宅と妹家族宅にシャンボールのパン、
清里では友人に焼酎を買ってきました。

桜のトンネル

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春が来た。

♯網走

2019.05.02 Note セワポロロ

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 北方民族ウイルタはサハリン中部に移住してきた民族です。
ウイルタの木彫り人形(木遇)「セワ」は、
ウイルタにとって厄除けのようなものであり
願いをかなえてくれる神の化身だと考えられています。

実物のセワは北海道立北方民族博物館に収蔵されています。
アイヌ文化において宗教儀礼に使われる木幣(イナウ)に似た形状の
飾りが人形の胸元に見て取れます。
人間と動物の間のような風貌は精霊のようでもあります。

写真は大広民芸店で購入した「セワポロロ」。
ウイルタのセワを参考にして作られた民芸品です。
素朴で、子どものように愛らしいお顔をしています。

ウイルタのダーヒンニェニ・ゲンダーヌ氏の著書によると
ウイルタ語に「ポロロ」という言葉は存在しないそうで、
聞き間違えなのか造語なのかわからないとのことでした。

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このセワポロロのことは無印良品の「福缶」でご存知の方も多いと思います。
https://www.muji.net/lab/blog/caravan/hokkaido/019338.html
わたしが伺った時は大広朔峰さんが逝去されたあとでした。
お話を聞いてみたかったな。とても残念です。

現在は大広朔洋さんが制作なさっています。
セワポロロは可愛らしいままです。
http://kai-hokkaido.com/feature_vol33_souvenir3/

【訪れた場所】

大広民芸店 
北海道立北方民族博物館

【参考文献】

田中了,D・ゲンダーヌ 『ゲンダーヌ-ある北方少数民族のドラマ』 1978.02.20 現代史出版会

大林太良『Northern peoples(ノーザンピープルズ)北方を知るためのガイド』
北海道立北方民族博物館 1995.10.03 p20

榎澤幸広・弦巻宏史
「ウィルタとは何か?―弦巻宏史先生の講演記録から 彼らの憲法観を考えるために―」
名古屋学院大学論集 社会科学篇 第48巻 第3号 2012.01

【参考サイト】

「アイヌ民族博物館」 アイヌの儀礼具

「北海道マガジン カイ」 網走で生まれた、北方民族へのオマージュ

♯ワタラポンクルも可愛すぎます ♯ウイルタ ♯セワ

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